デービスカップで活躍
2007/08/06
VIVA RAFA!
翌2004年、彼は4月に左足首の関節を痛め、7月上旬のバスタッド大会まで3ヶ月近く休場を強いられた。そのため、ATPランキングは夏には71位まで落ち込み、シーズンを51位で終わっている。しかし、それにも拘らず、この年は彼にとって記念すべき1年であったといえる。というのは、この年、彼はATPトーナメントで初優勝を果たし、また、デービスカップ決勝戦でスペインチームの一員として、18歳の若さでスペインを史上2度目の優勝に導いた重要な功労者となったからだ。
個人競技であるプロテニスで、数少ない団体戦の場といえるのがデービスカップだろう。4人の選手で国別のチームを編成して、2月から12月まで4回に渡るトーナメント(1回戦、2回戦、準決勝、決勝)を行い、各開催時にシングルス4試合、ダブルス1試合を行って、国対抗で優勝を争うのだ。サッカーで言えば一部リーグに相当するワールドグループは16カ国から成り、1回戦で勝利した8ヶ国は翌年もその地位をキープするが、負けた8ヶ国と、その下位の地域グループI部のうち、アジア・オセアニアグループ及びアメリカグループから各々上位2カ国、ヨーロッパ・アフリカグループから上位4カ国を加えた16ヶ国の間でプレイ・オフを行い、それに勝ち残った8カ国が翌年のワールドグループとなる。スペインは長年ワールドグループの地位を維持しているが、優勝したのは2回だけで、2004年、その2度目の優勝に大きく貢献したのがラファだ。
決勝戦のスペインチームのメンバーは、彼の同郷の先輩で親友でもあるカルロス・モヤ、フアン・カルロス・フェレロ(この二人はともにランキング世界1の座に着いたことがある)、現在、スペイン人としてはラファに次ぐランキング7位にいるトミー・ロブレド、そしてラファの4人。対するデービスカップの最多優勝国(現在まで優勝31回)である強豪アメリカ合衆国のこの時のメンバーは、当時世界第2位のアンディ・ロディック、マーディ・フィッシュ、そして現在もダブルスの最強ペアであるブライアン兄弟。ダブルスは1試合だが、初日に行われるシングルス2試合で連勝または連敗すると、第3試合であるこのダブルスは勝敗を決する重要な試合になることがある。
この決勝戦は、スペインの都市セビーヤ、しかもクレーコートで行われたことがスペイン側に有利に働いたとはいえ、デービスカップ決勝という世界中が注目する大舞台の第2試合で、18歳のラファが、当時世界第2位アンディ・ロディックに対して4セットで勝ち取った勝利は驚嘆に値するものだった。当初予定されていたフェレロが不調のため抜擢されたようだが、優勝したチームの一員として決勝戦でプレイして勝った選手としては最若年記録ということである。
また、最初に述べたように、個人のATP選手としても、8月にソポット大会シングルスで初優勝したほか、ダブルスでは、チェンナイ大会で優勝、そしてUSオープンでトミー・ロブレドと組んで準優勝している。
《続く》



