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サン・フェルミン 編集後記

ラファエル・ナダルという男

2007/07/05

2003年5月、ハンブルグ。ATPマスターズシリーズ会場のセンターコートでは、予選から勝ち上がってきた16歳の少年が、2回戦のマッチポイントを迎えていた。ネットの向こうには、大会第2シードで世界ランキング第4位のカルロス・モヤ。そのストロークがベースラインを割った瞬間、少年の3回戦進出が決定した。しかし、ベンチに戻った彼は、晴れやかな笑顔を見せる代わりに、不貞腐れたように俯いていた。

ラファエル・ナダル。1986年6月3日、スペイン・マヨルカ島の、マナコールという模造真珠で有名な町に生またこの少年は、2001年9月、僅か15歳でATP(男子プロテニス協会)にプロテニス選手として登録された。このマスターズ2回戦で対戦したカルロス・モヤは、同じマヨルカ島のパルマ・デ・マヨルカ出身で、当時26歳。99年には世界1位にランクされたこともあるこの名選手は、少年にとってメンターでもあり、親友でもあった。

ATPのトーナメントにはカテゴリーがある。各カテゴリーに準じて、優勝、準優勝、準決勝進出、etc.に対するポイントが与えられ、その年間獲得数による順位が、男子プロテニス選手の公式の世界ランキングになる。最も得点が高く、参加選手数が通常大会の2倍以上の128名、開催期間も2倍の2週間にわたる4大会はグランド・スラムと呼ばれる。それに次ぐものがマスターズ・シリーズで、現在年間9大会がそのカテゴリーに相当する。更に「インターナショナルシリーズ・ゴールド」(東京開催のAIGオープンはこれ)、「インターナショナルシリーズ」があり、ここまでがATPのHPでもニュースバリューを持つ国際的な大会だ。そして、更にその下に「チャレンジャー」「フューチャー」などがある。

ラファ -スペイン人は皆、親しみを込めて彼をそう呼ぶので、今後私もそうしたい- が初めてATPの公認大会で1勝を上げたのは、プロ登録をした翌年、2002年の春、15歳10ヶ月の時。16歳未満で初勝利を上げた選手としては、史上9人目だそうだ。その後の彼の躍進は目覚しい。その年の内に、フューチャーで大活躍し、チャレンジャーで準決勝に進出するまでになった。更に翌2003年には2大会を制覇するなどチャレンジャーで活躍する一方、予選を経てモンテ・カルロ及び冒頭のハンブルグという二つのマスターズシリーズでそれぞれ3回戦進出、そしてその6月には、17歳になったばかりの彼は、テニスの殿堂ウィンブルドンにおいて、1984年に16歳だったボリス・ベッカーに次ぐ若さで、同様に3回戦進出を果たす快挙を成し遂げた。この年の終わりには、彼は弱冠17歳で既にATPランキング49位につけていた。これが如何に高い順位であるかというのは、今日現在、最高位の日本人選手が214位ということを考えればよく分かると思う。

この年から、彼の名前が時々ニュースにも出るようになった。この早熟な少年の年齢に似合わぬ活躍は、それだけで充分注目に値するものだが、スペイン人にとって国民的スポーツであるサッカーで、スペイン代表としてワールドカップにも出場した往年の名ディフェンス、ミゲール・アンヘル・ナダルの甥であるということが、彼を更に注目させることになったようだ。