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サン・フェルミン 編集後記

イッコのラファマニア

飛躍の2003年

翌2003年には、世界のテニスファンにその名を知られるトッププロへの仲間入りを実質的に果たしたといえる。この年の彼は、前半は16歳、後半は17歳だから、日本で言えばちょうど高校2年生ぐらいだ。

15歳でATPトーナメントの世界へ

前回ジュニア時代の足跡をたどってみたので、続いてATPの正規男子プロとしての彼の成長を見てみたい。

ジュニア時代

それにしても、元来右利きの者が、訓練したからといってレフティとして世界No.2まで行くということがありえるのだろうか?

テニス界の新星ラファ誕生

マヨルカは、毎夏スペイン国王もバカンスを過ごす、ハイクラスの観光の島。生活水準も高い。ナダル家は、そのマヨルカ島のマナコールに14世紀から住んでいる、地元では由緒ある家系だそうだ。マヨルカのそういう土着の名士の例に違わず、祖父は不動産などを所有する裕福な資産家で、地元の楽団の指揮などをしている音楽家でもあるそうだが、残念ながら、彼の4人の息子と1人の娘は誰も音楽への情熱を受け継がなかったようだ。音楽の代わりに、スポーツに異才を示す息子や孫が次々と生まれたのはどういう運命のいたずらだったのだろう。

ラファエル・ナダルという男

2003年5月、ハンブルグ。ATPマスターズシリーズ会場のセンターコートでは、予選から勝ち上がってきた16歳の少年が、2回戦のマッチポイントを迎えていた。ネットの向こうには、大会第2シードで世界ランキング第4位のカルロス・モヤ。そのストロークがベースラインを割った瞬間、少年の3回戦進出が決定した。しかし、ベンチに戻った彼は、晴れやかな笑顔を見せる代わりに、不貞腐れたように俯いていた。